こんにちは、Jです。
ここ最近Twitterでの他人の投稿内容(おもに他者へのバッシングや批判)を見たり、実際に当の批判行為を行っている本人たちとやり取りしているなかで悟ったことがあります。
それは…
ほとんどの批判内容にはダブルスタンダードが含まれている
しかも
「私はいいけどお前は許さない」
といったような形態が含まれていることがほとんどだということ。
どうしてこういったダブルスタンダードが含まれるのかを小一時間考察してみたのですが、私が得た結論としては…
人は自分を贖罪する目的で人を断罪する
「え?どういうことですか?Jさん?断罪?贖罪?一体なんのことですか?」
つまりこういうことです。
普段から万引をしている(もしくはしたい)人ほど、他人の万引を許せなくなる
そして他人の万引を「そんなことをするべきではない」と批判することで自分が万引している(もしくは自分ではよろしくないと感じている抑圧された願望がある)事実を”忘れる”ことでスッキリすることができるのです。
つまり、
人は自分のために人を批判する
ということです。
とどのつまり…
オナニー目的の批判
批判といえば、一見相手のための思いやりがある行為のように思いますが、こういった実はものすごく自己中心的な理由から批判しているケースが大多数だと思います。
本当に思いやりのある批判なのか、それとも自己中心的な自分勝手な批判なのかを見分ける方法が1つだけあります。
それは、
批判内容に「具体的代案」が含まれている否か
です。
「Jさん!具体的代案ってどういうことですか?よくわかりません!」
例をあげましょう
「あなたのパンは塩が足りていないので、あと5mg塩を入れたらもっと美味しくなりますよ」
この例でいえば「塩が足りていないので、あと5mg塩を入れたほうがいい」が具体的代案です。
逆に
「あなたのパンは美味しくない、不味い」
これは相手のためではなく、自分の為に行っている批判と見てよいでしょう。
「このパン不味い、塩が足りていないんだよな~」
これも「塩が足りていない」と言っているだけで、具体的にどうすればいいのかを提示していないので、自分の為に行っている批判と判断してOKです。
この具体的代案が含まれていないありとあらゆる批判は、相手の為ではなく自分の為にしている批判と判断してまず間違いないと思います。
批判に具体的代案が含まれていない批判は、自分の為に行っているオナニーと本質的に一緒ですから、何もわざわざあなたが相手のオナニーに付き合うことも、相手のオナニーをイチ意見としてリスペクトする必要も一切ないわけです。
“具体的代案が含まれていないオナニー批判”はガン無視でOK。
あなたもこれからは他人が批判している時、もしくは自分が誰かから批判されたときは、その批判内容に具体的代案が含まれているか否かで、
オナニー目的の批判か否かをバシバシと見極めていきましょう。
そして何度もいいますが、
批判内容に具体的代案が含まれていないオナニー目的の批判はガン無視でOK牧場
その相手がどんなに「これはお前のためなのだ」とか「社会のためなのだ」といかにもそれらしく高尚なことをのたまっていたとしても、「じゃぁ代わりに何をしたらいいのか?」を具体的に提示してくれない批判内容は全てオナニー目的の批判と思ってまず間違いありません。
その相手が、たとえ弁護士だろうが政治家だろうが、一緒です。
国会中継など見てると政治家は特に多いですよね、ただ批判だけに終始する人。
こういった無責任な人達の批判は1mmも気にする必要はありません。
それがたとえ、弁護士や政治家であろうと具体的代案が含まれていないオナニー目的の批判であればガンガン無視してOK。
最低でも具体的代案を考えることに時間を割いてくれるほど、あなたのことを大切に思ってくれる人以外の批判は全く聞き入れなくてもよいということです。
オナニー野郎ではなく、あなたはあなたを自分と同じくらい大切にしてくれる人に集中しましょう。